こんにちは
株式会社ハピネスワーク 青栁伺智代です
私は東京ディズニーランド開業から20年間、株式会社オリエンタルランドで働いていました
前回は、縁と運とタイミングで、株式会社オリエンタルランドに
入社したというお話をさせていただきました
東京ディズニーランドの開業準備から開業直前までをお話させていただきます
配属初日に大失敗!
まだ東京ディズニーランドは工事中だったので
そこから徒歩10分ほどのところにあるプレハブの建物で、東京ディズニーランドオリエンテーションを受講しました
そして、フード本部に配属
ずらりと並んだフード本部幹部の前で、自己紹介を行うことになりました
人前で話すのが苦手だった私はド緊張!
「では1人ずつ自己紹介をしてください」…と言われ
ドキドキしながら
「本日付けて配属になったあおやぎです」…というと
一番大きな身体の男性が顔を真っ赤にして
「苗字しか言わないのはどういうことだ!!」と怒鳴られたのです
(フルネームで言わなきゃいけなかったんだな…)と気づきましたが
そんな風に怒鳴られたのは人生始まって以来初めて!!
身体中ガチガチに震え、頭の中は真っ白!
震える声でもう1度自己紹介をしました
ディズニーが大好きで、夢のような仕事に就くことができたはずなのに
配属初日の大失敗で、すっかり落ち込んでしまった私です
そんな風にスタートしたオリエンタルランドの社員生活
その時の怒鳴り声がずっと耳に残っていて
またなにかミスをすると、怒鳴られるじゃないか…ってビクビクしていました
たった1回の出来事なのですが、いまでも鮮明に覚えています
連日コピーばかり‥何のためにこの会社に入ったの?
入社当時は、開業準備の最終段階!
私の仕事は出勤してから帰るまで、ひたすら図面のコピーをとることでした
9時に出勤すると、今日はこれをコピーするようにという指示があり
オフィスとは少し離れたコピー機が置かれている一角で
ひとり寂しくコピーを取りつづけました
コピーが終わってオフィスに戻ると、みんな楽しそうに笑いながら仕事をしています
その様子を見ながら、話しかける勇気もなく、
その仲間に入れてもらえないことが寂しくて、泣きながら帰宅したことも…。
そんな中で迎えた休日
私はこんなことを考えていました
(ディズニーランドの仕事なんだから、もっと楽しいと思っていたのに…
私だけ1人ぼっちで毎日コピーばかり。
こんなつまらない仕事…辞めちゃおうかな)
そう心の中でぼやいていたとき、ふと気づいたのです
コピーはつまらない?
もしかして、私が勝手につまらない仕事って
決めつけているだけなんじゃないか…
そのことに気づいた瞬間、心のモヤモヤがすっかりなくなり
コピー室は1人なんだから気楽でいいじゃない!
もっと楽しめる方法を考えよう…と決めて、出勤しました
机の上には、いつものように山のような図面!
でもそれを持ってコピー室にいく私の足取りは
多分、入社して初めて軽やかだったと思います
その日から、コピーのとり方をいろいろ工夫しました
どうすれば速く、綺麗に、コピーがとれるかということに挑戦したのです
そして5日後、2時間はやくコピーを終えることができました
「やった―!」と心の中で叫んで
コピーが終わったことを伝えると
「なんだ…もう終わったのか。
みんな忙しいから残りの時間は何かやってて」
と上司に言われたのです
仕事がはやく終わり、
褒めてもらえると思い込んでいたので、
残念な気持ちもありましたが
仕事の指示がない…ということは、
自由な時間ができたので、
社内に設置されていた
東京ディズニーランドの模型の前で
終了時間まで過ごすことにしました
その時間で東京ディズニーランドの施設の名前や配置をすっかり覚え、
パーク開業時には案内ができるほど詳しくなっていたのです
仕事を楽しむのも、つまらなくするのも自分
自己紹介でいきなり怒鳴られ
毎日1人ぼっちでコピー室で仕事をして
仕事がはやく終わっても褒められるどころか、放っておかれ…
皆さんだったら、どうしますか?
私がこんな風にいろいろあっても辞めなかったのは理由があります
私には、オリエンタルランドで働かなくちゃ叶えられない「夢」があったから!
それは、学生時代に見つけた「コンサルタントになる」ということ
もしも、ディズニーランドで働くことが私の目標だったとしたら辞めていたかも知れません
辞められないなら、つまらない毎日より、楽しい毎日の方がいい!
コピーは慣れればどんどんスピードアップしていくので
自由時間はどんどん増えていきました
コピーしながら、「今日は何して過ごそうかな」と考えているのですから
コピーだって楽しくなります
そんな私をずっと見ていた人がいました
君のような笑顔をディズニースマイルっていうんだよ!
その日もいつものように、コピー室でひたすらコピーをとっていました
日本人と米国人の2人が私の目の前に突然現れ、こう言ったのです
「こんにちは。毎日コピーばかりとってるのに、なぜそんなに楽しそうに仕事をしているの?」
私は、いろいろ工夫したり、チャレンジできるから楽しいと伝えると、その人は
「君のような笑顔をディズニースマイルっていうんだよ」と言ってくれたのです
あとから知ったのですが、その人達は、フードではなく、お隣の商品部の教育担当でした
その翌週、出勤すると…
部長に呼ばれ、私は突然教育担当を任命されました
頑張っていれば、必ず誰かが見ていてくれる…ということを
言われますが、本当に…そういうことってあるんですね
「笑う門には福来る」って本当!
米国キャストと協同でサービスプログラムを開発
教育の仕事をするようになって2か月後
カリフォルニアのディズニーランドから開業サポートキャストが来日しました
偶然、私と同い年だったこともあり、私たちはすぐ仲良くなりました
仕事中はもちろん一緒ですが、仕事が終わってからもほとんど毎日一緒に過ごしていたのです
当時は、浦安のアメリカ村で来日したディズニー関係者が生活していたのです
仕事が終わると、米国スタッフはお互いの立場や役職を気にしません。
来日メンバーだったからかも知れませんが、仲が良く、日本人の私もすぐ仲間に入れてくれました。
ある時、カストーディアルの責任者として来日したチャックに、いたずらをしよう!という話になりました。
米国キャストの上司・部下の関係にびっくり
リンダ「みちよ、今から面白いものを見せてあげるから、準備を手伝って」
私 「オーケー!何をするの?新聞を丸めるのね」
リンダ「そうそう。この新聞を全部丸めて!面白いことをするから」
そう話しながら、段ボール箱3つ分も新聞紙を丸めました。
リンダ「これをチャックの家に持って行くから手伝って」と言われ、
チャックの家まで、段ボール箱を運びました。
リンダは、チェックの家に着くと、
ポーチいっぱいに、丸めた新聞紙を敷き詰め、家に帰り、チャックに電話をします。
「チャック、玄関のドアを開けてみて!」と笑いながら告げて電話を切ったのです。
それから1分もしないうちに、チャックの大声が聞こえ、チャイムが鳴りました。
リンダがドアをあけ、外に出ると
「バシャ」という水の音がしたのです。
それは、チャックがバケツの水をリンダにかけた音でした。
その後、ずぶ濡れになっているのに楽しそうなリンダと一緒に、
チャックの家の新聞紙を片付けにいった私です。
まるでドラマか映画の世界ですよね。
信頼関係があるからこその、いたずらだと思います。
私はこの人間関係をうらやましく思いました。
上司の家のポーチをゴミだらけにするなんて、私にはできそうもありませんが…(笑)
いたずらはともかく、
仕事場から離れた場所で、こんな風に上司との時間を過ごせる関係はいいなぁと思いました。
この経験が私のチームづくりの理想像になったことは間違いありません
言葉がつうじることより、心がつうじることのほうが大事
仕事中は通訳がいるので、英語を話せない私でも
不自由を感じることがないのですが
仕事のあとは、そうもいきません
言葉がつうじるのは便利ですが
つうじないことは不便ではなく
その分、お互いへの気づかいや理解したい!という気持ちから
表情を見ることやしぐさが豊かになります
ディズニーの研修中に、
言葉を使わず会話をする練習を行なったことがあるのですが
その分、お互いへの関心が強まるので
5分間の体験でも
心の距離がグッと近くなったように感じます
私とリンダは約半年間一緒に過ごしました
たった半年なのに、すっかり仲良くなった私たちは涙…涙の別れとなったのでした
ディズニーの開業がなければ絶対に体験できなかったことなので、
この時期にオリエンタルランドに入社して本当に良かったと思います
1983年4月15日東京ディズニーランド開業!
開業後の出来事はまた次回お伝えしますね